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コラムマーケボン

(Wed Aug 05 10:00:00 JST 2015/2015年8・9月号 マーケボン)

ラジオのチカラ
『ラジオのこちら側で』(ピーター・バラカン著/岩波新書) 平塚元明 マーケティングプランナー

  田舎の母親から電話があってさ、ヘルマン・ヘッセという人の本を読みたいんだけど、お前知ってるかって言うんだよ。読書なんか全くしない母親だからさ、いったいどうしちゃったのかと思って。

  以前のこと、ある人からそんな話を聞きました。かなり面食らったでしょう。なぜに突然、文学趣味から縁遠い田舎の母ちゃんの口から、ヘルマン・ヘッセの名がもれたのか。続きを聞いていくと、それはラジオのせいだったんです。

  NHKラジオで深夜に放送されている「ラジオ深夜便」という番組を聞いたことがありますか。ベテランアナウンサーの低いトーンのゆっくりとした語りに、昔懐かしい音楽。若者向けのいわゆる深夜放送や、いまどきのFM波のムードと比較すると、ちょっと……というか、ものすごく地味で渋い番組です。仕事で遅くなって深夜にタクシーを拾うと、カーラジオからこの番組が聞こえてくることがあります。あまりに地味で、じっと聞いてると催眠効果すら感じるほど。若い人からすると、いったい何がおもしろいのか……というようなものではありますが、この番組、大した宣伝もしてなかったのに、じわりじわりと年配の方の支持を集め、 いつしか大変な人気番組になりました。タクシーであれば、高齢の運転手が多い個人タクシーでかかっていることが多いですね。

  この番組の人気の秘密は何でしょう。年配の方、夜なかなか眠れないという人が多いのだそうです。それで、深夜、ごくごく小さい音でこの番組に耳を傾ける。ゆっくりと落ち着いた語り、そして懐かしいレコード。ポータブルラジオを布団の中でじっと握りしめて、懐かしい音楽に昔を思い出してそっと涙をふいている。不眠や孤独、老いについての悲嘆ではなく、この時間はとても幸福なひとときなのだとリスナーの方が新聞に投稿されていたのを読んだ記憶があります。冒頭にあげた田舎の母親、彼女がどうしてもヘッセを読みたくなったのは、この番組の語りで、その作品についての言及があったからなのです。

  文学に縁遠かった人に、ヘルマン・ヘッセを読んでみたいと思わせるチカラ。これ、どうしてもラジオでなくてはならないような気がしませんか。テレビや動画サイトでは、どうもこの感じが出てこない。基本的には音声だけのシンプルなメディア。現在のメディアの進化を考えると、とても適応しているとはいえないラジオというメディアが、なぜに今も高い支持を集めているのか、ヘッセを読んでみたいというように人をときに強く衝(つ)き動かすのか。このあたりを深く掘り下げてみると、今のメディアをめぐる議論に大きく欠けているものが、いくつもいくつも出てくるように思います。

  先日、とあるラジオ番組に出演する機会がありました。マーケターのためのラジオ番組というのを試しにやるから、ゲストで出演しろ、好きな音楽を何曲かかけてもいいぞ、と。そのオンエアを、夜更けに寝床で小さい音で聞いていたら、ふとこのヘッセの話を思い出したのでした。これは書いておいたほうがいいかな、という気がしたんです、何となく。

  今回の推薦書は『ラジオのこちら側で』(ピーター・バラカン著)。熱心な音楽好きなら、著者がこれまで手掛けてきた音楽番組の数々に触れたことがあるはず。自分がいいと思うものしか薦めない誠実さがこの人の持ち味。自らのこれまでの仕事を述懐しつつ、これからの時代におけるあり方、その可能性の中心について、ラジオというメディアへの愛と愛ゆえの叱咤(しった)が交差するこの著者ならではの論考が展開されます。スマホのアプリでラジオ放送が聞ける時代になりました。推薦書片手に、久々にラジオを聞いてみませんか。夏の夜、結構いい感じですよ。

イメージフォト

ラジオ番組でかけた私の選曲。クラシック(リヒャルト・シュトラウスの歌曲)〜テクノ(YMO)〜ジャズ(チャーリー・パーカー)〜レゲエ(アスワド)。いろんなジャンルのものを選んでみました。音楽好きなら一度はやってみたいでしょ。えへへ。自慢です。

本誌デザイン/阿部雪絵デザイン室

〔筆者プロフィル〕

1967年生まれ。1989年博報堂入社。マーケティング局〜博報堂電脳体〜インタラクティブ局を経て03年に退社、現在はフリーで活動中。(株)博報堂DYメディアパートナーズメディア環境研究所客員研究員、(株)博報堂プラニングハウスフェロー、(株)パズル社外取締役、(株)ants相談役、「宣伝会議」レギュラー講師。著書に「ポスト3.11のマーケティング」(共著)など。 http://blog.goo.ne.jp/omiyage22