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インタビューキーパーソン

(Thu Mar 21 12:00:00 JST 2013/2013年4・5月号 ojo interview)

田中 操 氏
読売広告社   次世代モノづくり研究所長

田中 操 氏

原石の価値発掘を通じてモノづくりのお手伝いを

  「広告やプロモーション以外に、広告会社がお客さまである企業や自治体のお役に立てることはないか、それがモノづくり、商品開発だったのです」。2年前に読売広告社が行った組織改編の目玉である次世代モノづくり研究所(通称・モノ研)の初代所長として、専属14人のチームを率いる。「千本ノックのように」百の案件に取り組んだ1年目、パイロットインキの長寿玩具「アヒル隊長」のキャラクター活用や、「新美容飲料 女神の林檎」の商品化・販路開拓など、具体的成果が生まれた2年目を経て、「3年目の今年度は、選択と集中をさらに進め、収益モデルを作り上げたい」と意気込む。
  建築工学を専攻し、一級建築士の資格を持つ。インテリア・住設機器メーカーの研究所で、モデル家具からパンフレットの制作、展示会運営まで奮闘したが、30代半ばとなり、もっといろいろな分野で力を発揮したいと転職を決意。新聞の求人広告を手がかりに読売広告社の門を叩き、97年に入社した。「実は30歳くらいまでと年齢制限があったのですが、懐の深い会社でラッキーでした」と笑う。
  担当したPRイベント「活彩あおもり大祭典」が、東京ドームに来場者が3日間あふれる大成功を2年連続で収め、青森県との縁が生まれた。8年前から、戦術アドバイスやネットワーク活用などに深く関わり、「津軽百年食堂」や「八戸 横丁飲み歩き」といった多彩な観光商品化に一役買っている。「地方には、磨き上げれば光る原石がたくさんあります。地元では気付きにくい、生活者から見た価値を僕らが与えれば、どんどんブレークする──そういう予感がありますね」
  各地から舞い込む相談は大歓迎。考えるテーマが多いほど、アイデアのひらめきにつながるという。「情報の宝庫・新聞を丹念に読むのをベースに、1週間ごとに録画したテレビの各種情報番組を早送りで見る作業を発想の源にしています」  開発した商品がヒットし、広告のネタとしてどれだけ還流してくるか、これも関心事の一つだ。

提供するソリューションの幅を広げ
ビジネス対象を拡大して深い関係を構築

──次世代モノづくり研究所の社内的な位置付けは?

  モノ研ができたのは、「稼ぎ方のマルチ化」という社内の方針の一環でした。つまり、広告やプロモーションの手数料という形のメディアコミッションだけではなく、ライセンス料や、商品の売り上げ収入、コンサル料、制作に伴うフィーなども収益源にしたいという目的があり、そのシンボル的存在となったわけです。同時に、顧客に提供するソリューションの幅を広げようという目的もありました。

──モノづくりの方向性は?

  一つは、アニメを柱にしたコンテンツ活用による商品開発です。当社で蓄積した材料は豊富にあり、テレビ番組やゲーム、キャラクターグッズなどで展開しています。
  もう一つは、技術・素材・販売チャネルなどのマッチングを通じたビジネスです。例えば、福島県棚倉町で採取されているセラミック素材は、「タナクラクレイ」と名付けて広島の浄水器メーカーや東京の販売会社とマッチングさせ、ビジネスとしての可能性を拡げています。
  大手の企業とも組んでいますが、広告ビジネスの対象にならなかった中小の企業でも、モノづくりに共に取り組むことで深い関係になれるのは財産ですね。

──「テクノロジーブランディング」という考え方を打ち出されていますが、どういうものですか。

  モノ研のできる前から、「テクノロジーブランディング」をテーマに社内有志と外部識者で研究会を組織し、ブランドとして成功している技術の事例を集めて分析し、本も出版しました。優れた技術は、ネーミングやマーク、アイコンなどを通じて価値を表現することによって、社会に受け入れられることがわかりました。

──モノづくりに携わる中で、メディアの役割とは?

  従来、メディアとの関わりは、モノができてからが多かったわけですが、モノづくりに踏み込むと、最初からメディアも意識した考え方になります。
  生活者に商品の価値を伝えるためには、メディアは不可欠です。特に新聞は、情報収集のネットワークが発達していて信頼度が圧倒的に高いことと、記事に出ると「名誉なこと」という感覚があり、商品開発にとっての意味合いは大きいです。広告媒体としても、信頼度は一番ではないでしょうか。

──もともとの専門である建築にまつわるエピソードは?

  自宅を変わった方法でつくりました。「スロービルド」と呼んでいるのですが、長い期間をかけて、自分たちでできるところはやって、安く建てるのです。竹を編んで土を練って土壁にしたり、天井を張り、漆喰を塗ったり、息子たちや友人知人も巻き込んで、2年半ほどかかりましたが、山小屋みたいな面白い家になりました。中学時代から山登りが大好きだったのが影響しているかもしれません。いろいろある工具を使って、今でも週末には家のどこかをいじっているのですが、これも一種の「モノづくり」ですね。

文/小野秀夫  写真/小原啓樹

田中 操(Misao Tanaka)

1960年神奈川県生まれ。日本大学生産工学部建築工学科卒業。岡村製作所に入社し、オフィスプランニング手法の研究、実験的モデルオフィスの設計、それに使用する製品の開発、加えてプロモーション業務などにも従事。1997年、読売広告社に入社。展示会やイベント事業の推進を担う一方、一級建築士事務所でもある同社の管理建築士として空間プロデュースなどを担当。自治体の観光PR戦略や県産品のブランド化コンサルティング、地元企業との協業による商品開発なども手がけるようになる。事業開発局長、コンテンツ開発局長などを経て、2011年4月から現職。